2005年08月20日

iPod shuffle

Apple iPod shuffle 512MB M9724J/A

先日、iPod Shuffleを購入してみました。

こんな小さくて軽いモノから音楽が聴こえてくるなんて、なんだか不思議な気分です。

今まで使ってきた携帯音楽プレーヤーの、リモコン部分から上だけになったような。

まず最初に、ジョアン・ジルベルトの「三月の水」を入れてみました。

以前から、このアルバムは音が良いと思っていました。オーディオ的な意味ではなく、音楽と音響がマッチしているというか。むしろ、エンジニアリングの教科書的な観点からは、あまり褒められたものではないのでは?と思います。

この感覚は、音質的にはCDよりも劣るであろうmp3に変換されても失われないだろうと常々考えていて、今回実際に試してみたわけですが、その通りでした。

イヤホンで聴くと、さらにその不思議な感覚(インナースペース感?)が強調されて、とても良い感じ。良い感じというか、一歩間違えたら「鬱」になってしまいそうな感じなのですが、このアルバムに関しては、その厳しさが良い。外に出て、雑踏や風がビュービュー吹きすさぶ中で聴くと、更に強調されるのではないか、と思います。

音質云々というよりも、音の配置の問題なのかな?とも思いますが、これはエンジニアを務めたウォルター(ウェンディ)・カルロスによるものも大きいのかもしれません。

反対に、イヤホンで聴くのにまったく適さないのが、同じジョアン・ジルベルトの「Ela E Carioca(彼女はカリオカ)」。このアルバムはどうしたことか、位相が逆になっているのかなにかで、スピーカーで聴いても非常に居心地が悪いことになっているのです。それをイヤホンで聴いたりしたら・・・ブルブル・・・

外観はチープだし、音質なども恐らくそれなりなのでしょうが、ちょっと面白いモノだな、と思いました。
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2005年07月30日

loco takayanagi y los pobres / el pulso

el pulso

先日とりあげた「カダフィーのテーマ」と同年の録音。まるで違うスタイル。

解説によると、ギター7本とコントラバスによるタンゴグループで、古典タンゴ曲を17曲収録したライブ盤ということです。グループ名は、「キチガイと貧乏な人々」という意味らしいです。

少々まわりくどく解説したのは、私がタンゴという音楽を良く知らないから・・・純粋な(?)タンゴは、アストル・ピアソラのアルバムしか聴いたことがないのです。例えば、どこかでタンゴが流れていても、「オッ!タンゴですな。」と指摘することは出来ないと思います。「オッ!ラテンですな〜」とは指摘できると思うのですが。

聴いていると、酒樽、豆電球、赤い薔薇を胸ポケットに挿した男性(原色系のシャツで腕まくり)、赤い薔薇を髪飾りにした女性(口紅は、薔薇にも負けない、目の醒めるような赤!)、ナイフとフォークがお皿にぶつかる音、テキーラ、葉巻・・・「アミーゴ♪」、「セニョリータ♪♪」・・・・・・がモワモワと浮かんできます・・・タンゴに詳しい方には怒られてしまいそうですが・・・無知ゆえの、と・・・お許しください・・・・・・

なので、「粋な音楽だな!」と思いますが、論評するなど、とてもとても(これまでの文章も論評とは違いますが)・・・

高柳昌行氏が、音楽に対して非常に真摯であったということは、断片的に拾い集めてきた情報からも強く窺い知ることが出来ます。その真摯な取り組みが、録音物として後世に残されたということに、感謝します。

この先、様々な音楽(に限らず)に出会い、知識が増えるたびに(このアルバムに限らず)再訪問させてもらおうと思います。

このアルバムの音楽などは、粋で格好いい音楽であることは間違いないので、単純に楽しみとして頻繁に聴くことになりそうですが。

全ての真摯な芸術家に敬意(と薔薇)を。
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2005年07月28日

高柳昌行 / カダフィーのテーマ

カダフィーのテーマ

ここにある音楽はどこにでもあるものではないけれども、この音楽を文章にしようとすると、どこにでもある文章になってしまいそうな気がします。

それは私自身の決定的な文章力不足によるものであることは勿論ですが、それだけではなく、相当の覚悟と真剣さを持って挑まない限り、「嵐」「混沌」「奔流」「ノイズ」「静寂」「極北」という言葉を用い、それらの中にある(ような気がする)甘美な感覚を指摘してお茶を濁す・・・というような結果は避け難いからです(この作品について書かれた他の方の文章を指しているのではなく、私のイメージです)。

私には、この音楽が優れたものなのか、そうでないのか、判断がつきません。優れた音楽という言葉も曖昧なもので、別に優れた音楽でなくても構わないのだけれども、自分にとって優れた音楽であるのか、否か、という以上の判断基準を私は持たないので、折角買ったのだから、私にとって優れた音楽であって欲しいという気持ちは確かにあるのですが、それは絶対的なものではありえません。

どちらかといえば、このような表現に至った人の弾く、一般的なスタイルのギターにこそ(レコードコレクションと蔵書も)興味があります。というよりも、その変遷と、表面的には違って聴こえるスタイル同士へのフィードバックに、とした方が正確かもしれません。

だから、持っていないCDを見つけると、決して日常的に聴くタイプの音楽ではない(スタイルによらず、真剣に聴くと、なんだか神経が消耗してしまう)ことは認識しつつも、買ってしまいます(常に流通しているようなタイプの音楽ではないので、「あるときに買わなくては!」というのもありますが)。そして、一枚一枚がとても大切に思えるのです。

このアルバムはライブ録音ということですが、その演奏風景はどんなものだったのでしょうか(写真は何枚か見たことがありますが、謎は膨らむばかり)。そして、観客はどのような気持ちでそれを観て、聴いていたのでしょうか。決して貶すとか悪い意味ではなく、このようなライブにお金を払って通うというのは、なんだか不思議な気持ちがします。

このような表現に至った心境、その論理とは、如何なるものか。

音が粒子であるとすれば、その成分のココとソコを繋いでいけば旋律を結ぶような気がするので、人それぞれ、その都度(CDで聴く場合)違うものが聴こえてくるのかもしれないし、聴きこむうちに決定的旋律というものが浮き上がってくるかもしれません(意識によって導かれる、偶然性との有機的結合)。或いは、無意識のうちにも旋律を探してしまうような、安直な姿勢に対する否定なのか・・・もっと大きく全体を音響彫刻として受け止めるべきなのか・・・

とても気になる作品です。
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2005年07月26日

日本の音楽

日本の音楽

先日、Jazz Todayというフリーペーパーのインタビューで、アート・リンゼイが「学生時代に能楽に出会って、凄く魅了された。」と語っているのを読みました。

今まで、日本の伝統音楽について考えることなどなかったのですが、それを読んで以来「そういえば、どんな感じなんだろう?何も知らないぞ。」と、興味が膨らんできました。

そこで、日本の伝統音楽のオムニバスCDを入門用として買ってきました。そこに収録されていたのは


雅楽 - Court Music Of Japan

能楽囃子 - Music Of The Noh Theatre

尺八 - Music Of The Shakuhachi

筝曲 - Music Of The Koto

声明 - Japanese Buddhist Chant Of The Shin-gon Sect

文楽 - Music Of The Bunraku Theatre

奄美しまうた - Folk Song Of Amami

沖縄しまうた - Folk Song Of Okinawa

アイヌのうた - Song Of The Ainu


英語による説明(?)も面白いので書き写してみましたが、簡潔なぶん分かりやすい。(「Folk Song」というのは、アコースティック・ギターで弾き語っている・・・というのでは勿論なく、民謡のような音楽を指すときにも使われる言葉です。)

何の知識もなく空っぽの状態でこのCDを聴いたのですが、その格好よさにビックリしました。全く触れたことがないというわけではなく、これまでどこかで確かに耳にしたことのある世界なのですが。

雅楽は、ドローンミュージックとかミニマルミュージックと同じ文脈で聴くことができるのではないでしょうか?荘厳な美しさを感じます。これは厳密に構成された音楽なのでしょうか?ある音に呼応するように別の音が立ち上がってきて・・・新鮮な発見。ある種のトランスミュージックともいえそうです。声明は、インダストリアルミュージックと並べて聴けそう。能は音楽だけでも格好いいけれど、舞台も合わせて観た方がもっと楽しめるかな?尺八や琴はイメージ通り。水がちょろちょろと流れる音や、鹿威しの音が聞こえてきそうです。大変に風雅。琴と尺八の「春の海」(筝曲)はいつか音源が欲しいと思っていました。これでいつでもお正月気分に浸れます(?)。奄美、沖縄、アイヌの歌も、とても興味深い。

個人的に、こういう音楽に対しては学術的なイメージがあって、そういう堅苦しい接し方をするものであり、気軽に楽しめるようなものではない、というような先入観があったのですが、そういう思い込みは意味のないものである、と改めて思いました。

私は、ビル・ラズウェルやジャー・ウォブル、ブライアン・イーノというような人たちの音楽に対するスタンス(それ自体を目的とするのではなく、興味の赴くまま、結果としてジャンルの壁を越境しているような、「この音楽格好いいな、取り入れてみよう」というような、ある種のミーハー的感覚)が大好きなのですが、そのような姿勢は、真剣に学術的な面から研究を重ねている人から見たら、軽薄、或いはアレンジも通俗的に映ってしまうかもしれません。しかし、敬意を忘れてはいけないけれども、普段着のまま、部屋で純伝統音楽や、それらを取り入れた音楽をポップ・ミュージックと並べて聴くのは、何も悪いことではないし、自分には思いもよらなかった角度からの視点にビックリしたり、目から鱗が落ちたり、とても楽しく刺激的な体験であると思います。
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2005年07月24日

Celso Fonseca & Ronaldo Bastos / Slow Motion Bossa Nova

スローモーション・ボサノヴァ

先日、友人の車でちょっとした名所巡りをしました。カンカン照りの中、ちょっと移動してエアコンが効いた頃になると、降りて散策。帰ってくる頃には、車は充分に加熱されていて・・・ちょっと移動して・・・を繰り返すので、車の中は蒸し風呂状態です。

そんなとき激しい音楽を流していると、殆ど拷問のような気分に・・・

そこで、音楽をボサ・ノヴァに交換。

爽やかな空気につつまれたような気分になって、ホッと一息。

そのときは持っていっていなかったのですが、このCDに収められた音楽は、そんな場面にとても有効な音楽のような気がします。

アルバムタイトルを見れば、これ以上の説明は必要ないような気もしてきますが、穏やかで洗練されていて、さりげなく現代的なアレンジを施されたとても心地よい音楽です。

BGM的に流すことができるから、毒にも薬にもならない薄口の音楽かというと、そんなことはなく、旨味の凝縮された音楽であって、思わず唸ってしまいます。

夏の休日のお供にピッタリのCDだと思います。

昼寝にも似合いそう。

トロピカルジュースでも作って・・・

zzz・・・
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2005年07月13日

Albert Ayler / Spiritual Unity

Spiritual Unity

You never heard such sounds in your life.

「破壊せよ、とアイラーは言った」という、中上健次の有名な言葉があります。私はこの言葉を知っているだけで、この作品を読んだことがないので、本当にアイラーがそういったのか、中上健次がそのようなメッセージを勝手に受け取ったのか、定かではないのですが。

60年代に隆盛を誇ったフリージャズ。そして、そのシーンの中心人物の一人である、アルバート・アイラー。なにやら難しそうというか、しかめ面をして聴かなければいけないような気分にさせられますが、果たしてそういうものなのでしょうか?受け手が勝手に小難しく解釈して、敷居を高くしているだけのような気もします。

(アメリカの)フリージャズは、60年代の社会背景(公民権運動など)と実際強く関係のある音楽だとは思いますが、観念ばかりが増大して、観念に感覚を支配されてしまうのは、いただけません。気を楽〜にして、音楽そのものに耳を傾けると・・・

なにやら愉快な音楽・・・

3人のプレーヤーの、楽器による交感といった風情が面白い。聴いていると、なんだか心がまっさらになったような気分になって、元気がでる。

アイラーの場合、その壮絶な最期から、時代とともに去ったフリージャズの闘士というような、とにかくシリアスでハードなイメージがあります(ような気がする)。でも、例えば「Love Cry」という曲(アルバム「Love Cry」収録)。初めて聴いた時には、ズッコケてしまいました(ハレヒレハレハレ〜♪って・・・)。しかし、それが時代への挽歌のようにも聴こえてくるところがあったり(そう感じるのは、後になってその歴史を俯瞰することができるから、という理由が大きいような気もしますが)、その太い音色になぜか涙腺が緩むという感覚も・・・少なくとも暴力的な音楽であるとは、私は思いません。「Goin' Home(家路)」(先日取り上げた「遠き山に日は落ちて」)や、「聖者が街にやってくる」等の曲を吹き込んだアルバムもあります。いつか見た風景が、まぶたの裏側に仄かに映し出されるような演奏です。

最初に挙げたフレーズは、このアルバムを世に送り出した60年代を代表するフリージャズ(以外もあり)レーベル、ESP-Diskの(私の持っている)復刻版CDに印刷されているフレーズです(オリジナルのLPは見たことがないので)。好奇心を大いに刺激される、とても格好いいフレーズだと思います。

そしてもう一つ、レーベル(復活したのでしょうか?)のHPにも誇らしげに掲げられているフレーズが

The artists alone decide what you will hear on their ESP-Disk.

心を空っぽにしてこのアルバムを聴くと、暑い夏の日を爽快な気分で過ごせるかもしれません(涼しくはなりません)。
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2005年07月02日

George Gershwin / Rhapsody In Blue

The Ultimate Gershwin

直訳すると、『憂鬱な狂詩曲』。

タイトルだけでも「きっと、とても素敵な曲に違いない」と思わせるものがあります。

そう思ってワクワクしながらセットしたCDプレーヤーから流れてきたのは、予想とは少し違った音楽でした。

何処となくコミカルで、牧歌的ともいえそうな・・・

例えば曲の断片が『トム&ジェリー』で流れていても似合いそうな感じ。

言葉にするのは難しいですが、乏しい予備知識と先入観から膨らましていたイメージでは、今にも壊れてしまいそうな繊細で透明な音楽を予想していたのです。

でも、今になって考えてみると「なんと曲にピッタリの素敵なタイトルだろう!」「なんとタイトルにピッタリの素敵な曲だろう!」とため息が出てしまいます。

狂騒的でありながら優雅。優雅でありながら狂騒的。人生における悲喜劇。

一曲の中に、様々な表情を見せてくれる曲です。

時代背景などを考慮しながら曲を分析していくと、相当興味深いものになりそうですが、私は専門的な知識がないので断念。。。当時の大衆音楽とクラシックのスタイル。ジャズ、ブルース・・・

この曲は、ウディ・アレンの映画『マンハッタン』で印象的な使われ方をしています。マンハッタンの情景にこの曲が流れる部分などは、映像が主役なのか、音楽が主役なのか、それとも合わせて一つなのか・・・この映画に限らず、ウディ・アレンの描く世界と、ガーシュウィンの描く世界は相通じるものがあるように思います。

ウディ・アレンは、古き良き時代のジャズを演奏するミュージシャンでもあります。たしか、いまも毎週ニューヨークで演奏しているとか。

こんな音楽が流れているコーヒーハウスで、馴染みの面子とおしゃべりをしたり、一人で考え事をしたり・・・まるで映画『スモーク』みたいですが、そんな光景が浮かんできます。
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2005年06月30日

図書館再見

先日、久しぶりに図書館に出かけて貸し出しカードの更新をしました。

改めて館内を散策して、その充実振りに驚きました。

私は基本的に物を借りるのが好きではないので、最近は足が遠のいていたのですが(高校生のときは、よく利用していました)、賢く利用したら生活がとても豊かになるのではないか、となんだか新しい発見をしたようで、楽しい気分になってきました。

高価でなかなか手をだすことが出来なかった本を気軽に借りて読むことが出来る、というのも大きな魅力ですが、もう絶版(有名な作品でも、結構簡単に入手困難になるものです)になっている本が何気なく揃っていたり、存在を知らなかった面白そうな本と出会えたり、「これを利用しない手はない!」と思いました。

利用者の暗黙の了解的なマナーが少し壊れかけているような部分が多少気になりましたが、このような場所はなくならないで欲しいな、と思いました。

貸し出し制限がありますし、一気に借りても読みきれないので、「次は、あれを借りよう」と目をつけて帰ってきました。

雨の休日には、街の図書館に出かけてみるのもいいかもしれません。


ボサノヴァの歴史
ボサノヴァの歴史


ボサノヴァの歴史外伝 パジャマを着た神様
ボサノヴァの歴史外伝 パジャマを着た神様


こんな本も置いてありました。
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2005年06月23日

Henryk Gorecki / Symphony No.3 『悲歌のシンフォニー』

Henryk Gorecki: Symphony No. 3

嘆きと祈り。

イギリスのラジオ局が繰り返し流したことを切っ掛けに、90年代に大ヒットしたそうです。丁度、グレゴリオ聖歌がヒットしていた時期と同じくらいでしょうか?

重厚なオーケストラと歌(ソプラノ)が、ゆっくりとよせてはかえす、という感じの作品で、外界から隔絶された時と空間を作り出すような音楽です。

ポーランド語で歌われているのですが、このCDには英語訳がついていました。音楽を聴く際には余り歌詞は気にしないのですが、こういう作品はどういったことが歌われているのか気になります。英語は苦手なのですが、ポーランド語は全くわからないので・・・このアルバムは日本盤も出ていたようなのですが、現在は入手が難しそうです。


第一楽章

母親が、傷を負って死にかけている息子を抱いて

My son,my chosen and beloved
Share your wounds with your mother...


第二楽章

ナチスの秘密警察の独房の壁に残された、少女の手記

No,Mother,do not weep...


第三楽章

息子を失った母親の嘆きの歌

Where has he gone
My dearest son?


これだけだと、ただただ悲しい暗い曲のように思えるかもしれませんが、日が差し込んでくるような優しさ、穏やかさも感じます。

PJハーヴェイがBBCラジオでこの曲を聴いて、心動かされて思わずラジオ局に電話をかけて曲名を確かめた、というエピソードを何かで読んだ記憶があります。
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2005年06月06日

The Blue Nile / Peace At Last

Peace at Last

クールな肌触りが特徴的な彼らのアルバム(4枚しかないのですが)の中では、声と暖かみのあるアコースティックな響きが前面に出ているという点で珍しいアルバムです。

タイトルからも窺えるように、日々の生活の中で、ふと立ち止まり、思う・・・という感じの短編小説のような曲が並んでいます。

特別過酷な人生を送っている人でなくとも、何の不安もなかった子供時代(それ自体、子供ではなくなった人間の幻想なのかもしれませんが)を思い返し、当時のような心の平安(それは実は、当時接した映画や小説の中にしかなかったものなのかもしれないけれども)を求めるということがあるのではないでしょうか。

子供時代云々というのは、一つの例えであって、特にそういう内容のことが歌われているということではないのですが。ラブソングではあっても、巷に溢れる刹那的なものとは一線を画するものだと思います。

歌詞にはキリスト教的な世界観が反映されていますが、そのようなバックグラウンドを持たない私にとっても、それが障害になって理解できない・・・ということはありません。なにか具体的な願望の成就を求めるということではなく、大きな存在の慈愛を求めるような、淡い祈りのような気持ち。

私はこれらの歌の主人公に比べると、随分年齢も人生経験も浅いであろうと思われますが、年齢を重ねるにつれて感じ方の変わるアルバムであると思います。長い付き合いになりそうです。
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