2005年04月27日

Marc Ribot / Saints

Saints

アルバート・アイラーからThe Beatlesまで。ソロギターによるアルバム。

聴きようによっては、ギターによる戯れ、暇な時に部屋でギターを気ままに爪弾いている風景をパッケージにしただけ、というように思えるかもしれません。

或いは、それもあながち間違いとはいえないかもしれませんが、正確な再現とか構築を目的としないというのは、考え方によっては非常に厳しい条件でもあります。

ギター一本で、どのラインを選ぶか。或いは本来は鳴っていないはずの第三の旋律を拾い上げるか。構成は?原曲をモチーフにいかにしてオリジナルの表現に昇華させるか。というよりも、ギター一本しかないのだから、どう演奏してもオリジナルにしか成りようがないのだけれど。では、どのような基準を置くか。原曲に近いほどOKというような、わかりやすい基準はない。曖昧なところから、自らの意識、意思によってイメージを具現化する。

ひょっとすると、そこまで深く考えていないのかもしれないし、滅茶苦茶練りに練った結果なのかもしれません。そこを読みぬくほどの能力は私にはありませんが、ぎこちなく聴こえるなかで、叙情的でブルージーな響きにハッとさせられる場面もあり、決して親切な音楽ではないけれど、聴くたびに味わいが増していくような作品です。

これもまた、一つのBluesなのだと思います。
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2005年04月20日

Brandon Ross / Costume

コスチューム

枯山水の庭園を思わせる・・・

枯れたギターの音が瑞々しく響き、空気に消える。

饒舌な音楽ではなく、意識によって抑制された音楽であると思います。思索の軌跡とでもいうか・・・その過程とでもいうか・・・確かな技術に裏打ちされた余裕も感じさせつつ・・・

うまい言葉が浮かびませんが、心地よく聴けるし、じっくり聴きこみたくもなるアルバムです。
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2005年04月19日

Arto Lindsay / Salt

ソルトプラス(2)

甘美でありながら刺激的でもある。先鋭性と伝統的要素が同居し、洗練された優美な全体像を構築する。アート・リンゼイの作品の中でも、これほどラテン的な要素が表面に出たものは珍しいのではないでしょうか。艶があります。

アレンジは現代的であるけれども、時代が流れて色あせるような種類のものではありません。現代にいて音楽を作っているのだから、現代性を反映させるのは極自然なことです。しかし、安易になんでも取り入れると、あっという間に陳腐なものになってしまうという危険性もあります。それを見抜く審美眼というか、バランス感覚というか。そして、前衛的な要素とポップ・ミュージック的な要素のバランス。その絶妙さには唸るしかありません。別に計算して音楽を作っているわけではなく、自分の感覚に心地良い音楽を作っているだけだと思うのですが。

相棒のメルヴィン・ギブスも相変らず素晴らしい仕事をしています。

惚れ惚れするようなアルバムです。
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2005年04月15日

Bill Evans & Jim Hall / Undercurrent

アンダーカレント

腹八分目とでもいうか、何かが足りないというわけではないのだけれど、聴いている最中、レコードが終わったとき、何となく感じる空腹感。でも、それはとても心地よいもので・・・

少し割れたような音質のせいでしょうか?それとも収録時間のせい?それとも、その叙情的な世界観があまりにジャストすぎるから?

ビル・エヴァンスのピアノ、ジム・ホールのギター。二つの楽器による対話。破綻することなく流れる詩情。

録音物だからというわけではなく、Atmosphereがそのまま封じ込められており、再生するたびにそれは解き放たれ、夢のように消える。
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2005年04月11日

歪んだ憎しみ

人の情に訴えかけるような表現を使って、自分と異なる(或いは、自分にとって不利益な)意見を封じ込めようとする(「貴方の良心を信じます」「反対する奴は、人の心を持たないのか!」とでもいうような感じで)のは、非常に姑息なやり方だと思います。ヒューマニストを装う人々の根底にあるのは、義憤ではなく歪んだ憎しみなのでは?いや、もっとしたたかなのでしょうか。

そのようなものに流されない為にも、冷静に自分なりの考えを持つ(自分で考える)ことに意識的であることの必要性を強く感じます。なにか、具体的な行動を起こす(起こせ)ということではないのですが。無意識にメディアなどに接していると、都合の良いようにコントロールされてしまいます。

なにごとに関してもですが、原理主義的な考え方は危険なものだと思います。生きている中で考えが様々に変わるのは、当然のことなのではないでしょうか。真理に辿り着いたつもりの、思考が硬直化した人というのは、非常に不自然な存在なのではないかと思います。いつの間にやら、自らの理想とする社会(あまりにも独善的で話にならない)を実現する為には手段を選ばない(自分の思想と現実との間で辻褄の合わないことが出てきたとき、自分の考えを見直してみるという選択肢なしに、現実の方を自分の理想の側に捻じ曲げようとする)、というようなテロリスト的な思考に辿りつく危険性を感じます。
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2005年04月07日

ブレイク詩集

対訳 ブレイク詩集―イギリス詩人選〈4〉

私は根気がないのか、詩というものを腰を据えて次から次へと読む、ということが出来ないのですが、このウィリアム・ブレイクの詩集を手にとって拾い読みしたところ、なんといえばよいのか神秘的なイメージが目の前に断片的ながらも浮かび、自分は扉の隙間から覗き見ることしか出来ないけれども、この世界は凄い(というのも芸のない言葉ですが)ものなのではないか、この扉の中に入っていくことが出来たら・・・と夢想しながらも、気が散って本を置く。ということを繰り返しているのですが、それだけでもなんだか楽しい体験なのです。

この文庫は、英文と対訳が並べて収録されているので、英文を読んで、訳文を読んで、自分でも訳(というか解釈)してみるというような楽しみ方も出来ます。挿絵も豊富なので、おすすめです。
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事実はひとつ。解釈は?

教科書検定の結果が出たようですが、やはり話題に上がるのは歴史教科書。事実はひとつ、しかしその解釈は幾通りもあって当然だと思います。あいかわらず、己の(都合の良い)解釈を唯一のものとして絶対視し、それを強引に押し付ける(場合によっては手段を選ばず、異なる意見を抹殺する)ことこそが正義である、と考えていそうな「良心的」勢力が国内外にいるようですが、もう少し平和的な態度を望みたいものです。
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2005年04月06日

桜の樹の下には

そろそろ桜の季節です。普段気にすることもなく横を通り抜けていた枯木(のように見える木)が、明るい花をいっぱいに咲かせている姿には、思わず足を止めてしまいます。

所々穴があいていたりして、やせ細って黒ずんだ寂しげな木にも、脈々と流れているものがあり、一年に一度、美しい花を咲かせるとは、実にあっぱれ。。。

しかし、桜の花がとても美しいのは確かですし、みとれてしまうのですが、みているうちに胸騒ぎというか、だんだん落ち着かない気分になってくるような。

見知らぬ山で、一面見渡す限り満開の桜。一人、歩いても歩いても桜吹雪。。。なんて境遇に陥ったら、果たして正気を保ちつづけることができるでしょうか。

それはともかく、一年に一度のこの季節、酒盛りもいいけれど、一人静かに桜を見上げてみるのも乙なものです。夜の神社やお寺なんか、なかなか良いのではないでしょうか。押し花にするのも一興(それでは桜の意味がない?)。私も去年作ったのですが、どの本に挟んだのか忘れてしまって。。。

個人的には、散った後の葉桜もなかなか味わい深くて好きなのです。
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2005年04月05日

Friction / Skin Deep

音と音の間に隙間が多く、そこになにやら不穏な空気が充満している。前作「軋轢」をはじめ、ライブ盤も含め全てが名盤であり、それぞれが繋がり(連続性)を感じさせつつ、それぞれの作品に独自の魅力があるのですが、当時リアルタイムでFrictionを追いかけていたファンは、この作品がでたときどのような感想を持ったのでしょうか。

当時の音楽的状況を考えると(または、ライブに熱心に通っていたようなファンには)、意外と違和感なく受け入れられたのかもしれませんが、前作「軋轢」や、その当時のライブ録音と比べると、随分と音楽性が変化しているように感じます。

殆ど(全て)の曲がミドルテンポ。不穏で金属的なSEが挿入され、ギターはファンキーなカッティングを聴かせる場面もあるものの、殆どがノイズ的というか、これもまたSE的な役割が殆ど。空気を震わせるベースの存在感が強烈。ベースとパーカッションが音楽の根幹を成しており、それらの上を、シェイプアップされ研ぎ澄まされた言葉(ヴォーカル)が泳ぐ。

それにしても、音楽全体に強度と深みを与えているベース。ビートを作り出しながらも、不規則(というわけでもないのでしょうが)に動き回るそのベースラインの裏には、強烈な意識、意思を感じます。

ジャケットも格好いいです。Amazonに写真がないので、載せることが出来ないのが残念。

もし可能ならば、この作品のリミックス(陰影を際立たせるような、リマスタリング的な意味での)を聴いてみたいものです。このもやがかかったような空気感あってこそなのかもしれませんが。
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2005年04月01日

Jah Wobble & The Invaders Of The Heart / Molam Dub

Molam Dub

ジャー・ウォブルという人は、Public Image Limited脱退後は結構波乱万丈の人生を送ったようですが、現在はミュージシャンとして理想的な道を歩んでいるといってよいのではないでしょうか。

世界中の様々な意識的なミュージシャンと交流し、枠にとらわれず、興味や好み、考え方の変化などを自然に反映させながら音楽を創造している(と、私には感じられる)姿勢には、こちらも興味をかきたてられます。

このアルバムでは、パリをベースとして活動しているラオスのアンサンブルMolam Laoと競演しています。東南アジアの伝統的な音楽とディープでへヴィなレゲエ/ダブのサウンドとの融合。近未来的な情景が浮かぶような、とても格好いい音楽です。

海外の音楽となると、やはり欧米(中南米)の音楽が中心になります。私はエッジのある音楽というか、精神的な意味でのロック(でもジャズでも言葉は何でもいいですが)を感じさせる音楽に惹かれるのですが(ジャンル的な意味でのロックが好きかというと、必ずしもそうではないという意味で。勿論、好きなものも沢山あります)、欧米以外の地域にも当然様々な音楽が存在しており、そのような(エッジのある)音楽も沢山あるのだろうということに、このような音楽を聴くと改めて気がつかされます。

ヒットチャートは世界中何処だって似たり寄ったりだと思いますが、それぞれの地域の伝統を継承した現代の音楽(時間と地域の二つの軸が交差しているような)というのもあるでしょうし、面白そうです。
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