2005年05月26日

New Order / Technique

テクニーク

メランコリックなディスコミュージック。

音楽やファッションは、大体20年サイクルで再評価される(10年前が一番恥ずかしい)といわれますが、このバンドの音楽が古く感じられたときって、あったのでしょうか?

今の耳で80年代の音楽、特に当時の最新機材を使ったものを聴くと「う〜む・・・」となってしまうことが多々あります。というか最近ではまさに一周して、それが新鮮で面白く感じられたりもするのですが。シンセサイザーらしいシンセサイザーの音とか、オーケストラヒット(ジャンッ!とオーケストラのサンプルがアクセント的に一瞬挿入されるやつ)とか。チープでゴージャスであからさまな感じが、改めて新鮮に思えます。80年代の私は、まるで音楽に興味のない(縁のない)子供時代を送っていたので、懐かしい、というのとは違うと思うのですが。ただ、いかにも80年代的なキラキラした音が、90年代には時代遅れのように感じられたのは確かだと思います。

New Orderの音楽も、時代のテクノロジーを取り入れたものなのですが、その音楽が一向に古臭さを感じさせない(個人的な感覚ですが)のはどういうことなのでしょう?

一ついえることは、彼らが先駆者であったから、ということがあるのではないでしょうか(勿論、彼らに影響を与えた先人もいろいろ居るわけですが)。先駆者ということは、既に確立されたスタイル(ルール)があるわけもなく、そこからでてくる表現はオリジナルでしかあり得ないわけです。

なにごとに関してもですが、便乗組(言葉は悪いですが)があっという間に色褪せてしまうのに比べ、先駆者の作品はどれだけ時代が変わろうが、確たる強度を持っているものだと思います。

オリジナルであるが故に、最初はどんどん時代を切り開いていっているように見えるし、逆にあるときからはマンネリズムに陥ったように見える。最近の評論家の評価は後者に偏っているように感じるのですが、それは違うんじゃないか、と私は考えます。彼らの音楽に対する姿勢、態度は何も変わっていないのでは?と。新鮮に感じられないというのは、それだけ彼らが作った音楽が浸透したということであり、別に変わりつづけることが目的でもあるまいし、当然のことかと。先日発表された新譜も、クオリティの高さはずば抜けているし、現代性も確実に反映されています。

とにかく大好きなバンドなので、いろいろ書いていたのですが、なんだか余りにも纏まりがなくなってきてしまったので、それはカット!して、ひとつだけ。ギタリストとしてのバーナード・サムナーは、もっと評価されてしかるべき!ルー・リード直系の素晴らしいギタリストです。とにかくこのバンドは、唯一無二の存在(音楽性、メンバーそれぞれの個性、バンドのあり方・・・)であると思います。歌詞の内容やアートワーク(ピーター・サヴィル)も含めて。それは、前身バンドのJoy Divisionの頃もそうです。Joy DivisionとNew Order(新秩序?)はまるで違うバンドのようでもあり、何も変わっていないようでもあり、その両方とも真である。そのようなアンビヴァレントな感覚(様々な面で)こそが、このバンドの本質なのではないか、と思います。それはもちろん、今現在のNew Orderにも繋がっています。

今回紹介しているのは、89年のアルバム。New Orderが、ダンスミュージックに最も接近したアルバムではないかと思います。それは、刹那主義、快楽主義に耽溺した音楽(時代の傾向を考えれば、そうなっていてもおかしくない。しかし、そういう音楽は消費されてしまう)というわけではなく、メランコリア、シニシズム(ときに、思わず笑ってしまうくらいシニカルなところがある)、ロマンティシズム・・・そして、ダンスミュージックとしての機能性(といっても、私は踊る人ではないので、部屋や散歩で聴くばかり)、高揚感。それぞれが相反することなく共存している稀有な音楽だと思います。でも、これは音楽に限ったことではありませんが、お互い相容れないと思えるような要素が内に混在している状態こそ、真実なのではないか、という気もします。
posted by siesta at 00:00| Comment(0) | TrackBack(1) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月20日

星は空をちりばめぬ

先日、ラジオをつけてボンヤリしていると、ドヴォルザークの「新世界より」の第二楽章が流れてきました。

日本でも「遠き山に日は落ちて」(「家路」)として歌われているメロディです。子供の頃、キャンプファイアーを囲んで歌った経験を持つ方も多いのではないでしょうか。下校の時間にも流れていた記憶があります。

遠き山に日は落ちて♪の後は、どんな歌詞だったかしら・・・と調べてみたのですが、その後に続くのは「星は空をちりばめぬ」でありました。

「星は空をちりばめぬ」とは、なんと綺麗な表現!

1946年 堀内敬三作詞だそうです。今日、このような言葉遣いは姿を消しつつあるように感じるのですが、良いものだなぁ・・・と思いました。
posted by siesta at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月17日

吉行淳之介 / やややのはなし

吉行淳之介の「やややのはなし」というエッセイ集に収められている「自作再見『夕暮れまで』」という作品に、こんな文章を発見しました。


 『ところで、私はドビュッシイのピアノ曲が好きで、戦争中からずっと続いている。十数年前、サティが流行したことがあって、これはドビュッシイの親戚筋の身持ちの悪い男という感じで、その分だけ悪いところも良いところもある。しかし、やはりドビュッシイのほうが倦きない。「前奏曲」や「映像」には、一つ一つユニークな題名がついているが、おそらく曲ができ上がってから、遊び半分に付けたものだろう。』


この本は古本屋で発見して、パラパラと覗いた後に購入したのですが、そのパラパラのとき目に付いたのが「子供の時間」というタイトル。どうやら、「子供の時間」(子供の頃)というテーマの元に書かれた小品集の様子(この本の全てがそれというわけではなくて、それは一部)。なんとなく私の頭に浮かんだのは「Children's Corner」(「子供の領分」)というドビュッシーのピアノ曲集のタイトル。

別にそれとは関係なしに、面白そうなので購入したのですが、家で読んでいて上記の文章が出てきて私も「ややや」。ひょっとすると吉行淳之介がドビュッシーを好きであった、というのは有名なはなしなのかもしれませんが、私は知らなかったので意外なところで繋がって「ふ〜む」と唸ってしまいました。サティの説明も面白い。サティという人は相当の変わり者だったようですね。それが曲にも現れているような気がします(タイトルもヘンテコなのばかり!)。

「自作再見『夕暮れまで』」という作品は、「夕暮れまで」を書いたときの狙いの一つに、文字を使ってドビュッシーのピアノ曲のようなものを書いてみたいというものがあった、という内容で、「子供の時間」とは別の作品なのですが。

しかし、それを知ってみると・・・この本には「小道具たちの風景」という小品集も収められています・・・これもまた、ドビュッシーを思わせるような・・・というよりもサティ?

まあ、こじつけようと思えば、いくらでも繋がっていくものですが、何となく面白い。

「自作再見『夕暮れまで』」は「夕暮れまで」のある章が「海」という文芸誌に掲載されたという内容の文章で締められるのですが、ドビュッシーにも「海」という作品がありますね。面白い!

「海」に関しては、こんな興味深いエピソードも。(※ドビュッシーの「海」と葛飾北斎の絵との関係についての記事があったので、リンクを貼っていたのですが、ページがなくなってしまったようです。)


【追記】
一通り書いた後、ふと思い出したのですが、吉行淳之介の本のタイトルにそのものずばり「子供の領分」というのがありました・・・またまた「ややや」。
posted by siesta at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月15日

The Blue Nile / Hats

Hats

夜がよく似合う。と書いたところで考えたのですが、夜とは?何故、夜に似合うと思うのか?

夜・・・一日のお終い・・・静けさ・・・微熱のような疲れとやすらぎ・・・夜、それぞれの夜・・・わからなくなってきました。暴走族の夜・・・には、もちろん似合いません・・・

私は単純な人間なので、このジャケットからの連想で思い込んでいるだけのような気がしてきました・・・

しかし、このアルバム7曲中「The Downtown Lights」「Let's Go Out Tonight」「Headlights on the Parade」「From a Late Night Train」「Saturday Night」5曲!も夜を連想させるタイトルがあります。

やはり、彼らの音楽には夜のベールがよく似合う。

ミュージシャンズ・ミュージシャン的な存在であり、音楽評論家からも大変評価が高い存在なのですが、最初に聴いた時はどうしてそこまで評価が高いのか分かりませんでした。悪いと思ったわけではないのですが。しかし数年寝かした後、最近になってふと聴き返してみると、自然な感じで沁みこんできました。

派手な(過剰な)ところのない音楽なので、意識していないとサラっと流れていってしまいますが、よく聴くとかなり注意深く作りこまれた音楽であることがわかります。楽曲の構成にしても、楽器の使い方にしても。シンセによる冷んやりとしたオーケストレーション、打ち込みのリズム、ギター、ピアノ・・・どのような楽器がどれくらい使われたのか正確にはわかりませんが、全てが控えめで、余白が充分に残されている。余白に満ちている、といってもいいかもしれません。そして何より魅力的なのは、ポール・ブキャナンの歌。抑制されながらも、ソウルフル。上品で穏やかな、やさしさを孕んだ歌声。単純な私には、静かな郊外に住む英国紳士が浮かんできます。

この他のアルバム(20数年で4枚!)も同じく素晴らしいものばかりです。
posted by siesta at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月02日

Joao Gilberto / Joao Voz E Violao

ジョアン 声とギター

コップ一杯の蒸留水。

そこに、一滴の○○(お酒、香水・・・)を。

或いは、官能的な静寂。

いつも、同じような言葉しかでてこない自分の語彙の少なさを嘆かわしく思っているのですが、このアルバムについては、いくら言葉を尽くしても、言葉を尽くせば尽くすほど、その音楽から離れていってしまうような気がします。

ジョアン・ジルベルトの囁くような歌声とギター。

夜、一人で聴きたい音楽です。
posted by siesta at 00:00| Comment(4) | TrackBack(1) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。