2005年04月11日

歪んだ憎しみ

人の情に訴えかけるような表現を使って、自分と異なる(或いは、自分にとって不利益な)意見を封じ込めようとする(「貴方の良心を信じます」「反対する奴は、人の心を持たないのか!」とでもいうような感じで)のは、非常に姑息なやり方だと思います。ヒューマニストを装う人々の根底にあるのは、義憤ではなく歪んだ憎しみなのでは?いや、もっとしたたかなのでしょうか。

そのようなものに流されない為にも、冷静に自分なりの考えを持つ(自分で考える)ことに意識的であることの必要性を強く感じます。なにか、具体的な行動を起こす(起こせ)ということではないのですが。無意識にメディアなどに接していると、都合の良いようにコントロールされてしまいます。

なにごとに関してもですが、原理主義的な考え方は危険なものだと思います。生きている中で考えが様々に変わるのは、当然のことなのではないでしょうか。真理に辿り着いたつもりの、思考が硬直化した人というのは、非常に不自然な存在なのではないかと思います。いつの間にやら、自らの理想とする社会(あまりにも独善的で話にならない)を実現する為には手段を選ばない(自分の思想と現実との間で辻褄の合わないことが出てきたとき、自分の考えを見直してみるという選択肢なしに、現実の方を自分の理想の側に捻じ曲げようとする)、というようなテロリスト的な思考に辿りつく危険性を感じます。
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