2005年08月20日

iPod shuffle

Apple iPod shuffle 512MB M9724J/A

先日、iPod Shuffleを購入してみました。

こんな小さくて軽いモノから音楽が聴こえてくるなんて、なんだか不思議な気分です。

今まで使ってきた携帯音楽プレーヤーの、リモコン部分から上だけになったような。

まず最初に、ジョアン・ジルベルトの「三月の水」を入れてみました。

以前から、このアルバムは音が良いと思っていました。オーディオ的な意味ではなく、音楽と音響がマッチしているというか。むしろ、エンジニアリングの教科書的な観点からは、あまり褒められたものではないのでは?と思います。

この感覚は、音質的にはCDよりも劣るであろうmp3に変換されても失われないだろうと常々考えていて、今回実際に試してみたわけですが、その通りでした。

イヤホンで聴くと、さらにその不思議な感覚(インナースペース感?)が強調されて、とても良い感じ。良い感じというか、一歩間違えたら「鬱」になってしまいそうな感じなのですが、このアルバムに関しては、その厳しさが良い。外に出て、雑踏や風がビュービュー吹きすさぶ中で聴くと、更に強調されるのではないか、と思います。

音質云々というよりも、音の配置の問題なのかな?とも思いますが、これはエンジニアを務めたウォルター(ウェンディ)・カルロスによるものも大きいのかもしれません。

反対に、イヤホンで聴くのにまったく適さないのが、同じジョアン・ジルベルトの「Ela E Carioca(彼女はカリオカ)」。このアルバムはどうしたことか、位相が逆になっているのかなにかで、スピーカーで聴いても非常に居心地が悪いことになっているのです。それをイヤホンで聴いたりしたら・・・ブルブル・・・

外観はチープだし、音質なども恐らくそれなりなのでしょうが、ちょっと面白いモノだな、と思いました。
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2005年07月30日

loco takayanagi y los pobres / el pulso

el pulso

先日とりあげた「カダフィーのテーマ」と同年の録音。まるで違うスタイル。

解説によると、ギター7本とコントラバスによるタンゴグループで、古典タンゴ曲を17曲収録したライブ盤ということです。グループ名は、「キチガイと貧乏な人々」という意味らしいです。

少々まわりくどく解説したのは、私がタンゴという音楽を良く知らないから・・・純粋な(?)タンゴは、アストル・ピアソラのアルバムしか聴いたことがないのです。例えば、どこかでタンゴが流れていても、「オッ!タンゴですな。」と指摘することは出来ないと思います。「オッ!ラテンですな〜」とは指摘できると思うのですが。

聴いていると、酒樽、豆電球、赤い薔薇を胸ポケットに挿した男性(原色系のシャツで腕まくり)、赤い薔薇を髪飾りにした女性(口紅は、薔薇にも負けない、目の醒めるような赤!)、ナイフとフォークがお皿にぶつかる音、テキーラ、葉巻・・・「アミーゴ♪」、「セニョリータ♪♪」・・・・・・がモワモワと浮かんできます・・・タンゴに詳しい方には怒られてしまいそうですが・・・無知ゆえの、と・・・お許しください・・・・・・

なので、「粋な音楽だな!」と思いますが、論評するなど、とてもとても(これまでの文章も論評とは違いますが)・・・

高柳昌行氏が、音楽に対して非常に真摯であったということは、断片的に拾い集めてきた情報からも強く窺い知ることが出来ます。その真摯な取り組みが、録音物として後世に残されたということに、感謝します。

この先、様々な音楽(に限らず)に出会い、知識が増えるたびに(このアルバムに限らず)再訪問させてもらおうと思います。

このアルバムの音楽などは、粋で格好いい音楽であることは間違いないので、単純に楽しみとして頻繁に聴くことになりそうですが。

全ての真摯な芸術家に敬意(と薔薇)を。
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2005年07月28日

高柳昌行 / カダフィーのテーマ

カダフィーのテーマ

ここにある音楽はどこにでもあるものではないけれども、この音楽を文章にしようとすると、どこにでもある文章になってしまいそうな気がします。

それは私自身の決定的な文章力不足によるものであることは勿論ですが、それだけではなく、相当の覚悟と真剣さを持って挑まない限り、「嵐」「混沌」「奔流」「ノイズ」「静寂」「極北」という言葉を用い、それらの中にある(ような気がする)甘美な感覚を指摘してお茶を濁す・・・というような結果は避け難いからです(この作品について書かれた他の方の文章を指しているのではなく、私のイメージです)。

私には、この音楽が優れたものなのか、そうでないのか、判断がつきません。優れた音楽という言葉も曖昧なもので、別に優れた音楽でなくても構わないのだけれども、自分にとって優れた音楽であるのか、否か、という以上の判断基準を私は持たないので、折角買ったのだから、私にとって優れた音楽であって欲しいという気持ちは確かにあるのですが、それは絶対的なものではありえません。

どちらかといえば、このような表現に至った人の弾く、一般的なスタイルのギターにこそ(レコードコレクションと蔵書も)興味があります。というよりも、その変遷と、表面的には違って聴こえるスタイル同士へのフィードバックに、とした方が正確かもしれません。

だから、持っていないCDを見つけると、決して日常的に聴くタイプの音楽ではない(スタイルによらず、真剣に聴くと、なんだか神経が消耗してしまう)ことは認識しつつも、買ってしまいます(常に流通しているようなタイプの音楽ではないので、「あるときに買わなくては!」というのもありますが)。そして、一枚一枚がとても大切に思えるのです。

このアルバムはライブ録音ということですが、その演奏風景はどんなものだったのでしょうか(写真は何枚か見たことがありますが、謎は膨らむばかり)。そして、観客はどのような気持ちでそれを観て、聴いていたのでしょうか。決して貶すとか悪い意味ではなく、このようなライブにお金を払って通うというのは、なんだか不思議な気持ちがします。

このような表現に至った心境、その論理とは、如何なるものか。

音が粒子であるとすれば、その成分のココとソコを繋いでいけば旋律を結ぶような気がするので、人それぞれ、その都度(CDで聴く場合)違うものが聴こえてくるのかもしれないし、聴きこむうちに決定的旋律というものが浮き上がってくるかもしれません(意識によって導かれる、偶然性との有機的結合)。或いは、無意識のうちにも旋律を探してしまうような、安直な姿勢に対する否定なのか・・・もっと大きく全体を音響彫刻として受け止めるべきなのか・・・

とても気になる作品です。
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2005年07月26日

日本の音楽

日本の音楽

先日、Jazz Todayというフリーペーパーのインタビューで、アート・リンゼイが「学生時代に能楽に出会って、凄く魅了された。」と語っているのを読みました。

今まで、日本の伝統音楽について考えることなどなかったのですが、それを読んで以来「そういえば、どんな感じなんだろう?何も知らないぞ。」と、興味が膨らんできました。

そこで、日本の伝統音楽のオムニバスCDを入門用として買ってきました。そこに収録されていたのは


雅楽 - Court Music Of Japan

能楽囃子 - Music Of The Noh Theatre

尺八 - Music Of The Shakuhachi

筝曲 - Music Of The Koto

声明 - Japanese Buddhist Chant Of The Shin-gon Sect

文楽 - Music Of The Bunraku Theatre

奄美しまうた - Folk Song Of Amami

沖縄しまうた - Folk Song Of Okinawa

アイヌのうた - Song Of The Ainu


英語による説明(?)も面白いので書き写してみましたが、簡潔なぶん分かりやすい。(「Folk Song」というのは、アコースティック・ギターで弾き語っている・・・というのでは勿論なく、民謡のような音楽を指すときにも使われる言葉です。)

何の知識もなく空っぽの状態でこのCDを聴いたのですが、その格好よさにビックリしました。全く触れたことがないというわけではなく、これまでどこかで確かに耳にしたことのある世界なのですが。

雅楽は、ドローンミュージックとかミニマルミュージックと同じ文脈で聴くことができるのではないでしょうか?荘厳な美しさを感じます。これは厳密に構成された音楽なのでしょうか?ある音に呼応するように別の音が立ち上がってきて・・・新鮮な発見。ある種のトランスミュージックともいえそうです。声明は、インダストリアルミュージックと並べて聴けそう。能は音楽だけでも格好いいけれど、舞台も合わせて観た方がもっと楽しめるかな?尺八や琴はイメージ通り。水がちょろちょろと流れる音や、鹿威しの音が聞こえてきそうです。大変に風雅。琴と尺八の「春の海」(筝曲)はいつか音源が欲しいと思っていました。これでいつでもお正月気分に浸れます(?)。奄美、沖縄、アイヌの歌も、とても興味深い。

個人的に、こういう音楽に対しては学術的なイメージがあって、そういう堅苦しい接し方をするものであり、気軽に楽しめるようなものではない、というような先入観があったのですが、そういう思い込みは意味のないものである、と改めて思いました。

私は、ビル・ラズウェルやジャー・ウォブル、ブライアン・イーノというような人たちの音楽に対するスタンス(それ自体を目的とするのではなく、興味の赴くまま、結果としてジャンルの壁を越境しているような、「この音楽格好いいな、取り入れてみよう」というような、ある種のミーハー的感覚)が大好きなのですが、そのような姿勢は、真剣に学術的な面から研究を重ねている人から見たら、軽薄、或いはアレンジも通俗的に映ってしまうかもしれません。しかし、敬意を忘れてはいけないけれども、普段着のまま、部屋で純伝統音楽や、それらを取り入れた音楽をポップ・ミュージックと並べて聴くのは、何も悪いことではないし、自分には思いもよらなかった角度からの視点にビックリしたり、目から鱗が落ちたり、とても楽しく刺激的な体験であると思います。
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2005年07月24日

Celso Fonseca & Ronaldo Bastos / Slow Motion Bossa Nova

スローモーション・ボサノヴァ

先日、友人の車でちょっとした名所巡りをしました。カンカン照りの中、ちょっと移動してエアコンが効いた頃になると、降りて散策。帰ってくる頃には、車は充分に加熱されていて・・・ちょっと移動して・・・を繰り返すので、車の中は蒸し風呂状態です。

そんなとき激しい音楽を流していると、殆ど拷問のような気分に・・・

そこで、音楽をボサ・ノヴァに交換。

爽やかな空気につつまれたような気分になって、ホッと一息。

そのときは持っていっていなかったのですが、このCDに収められた音楽は、そんな場面にとても有効な音楽のような気がします。

アルバムタイトルを見れば、これ以上の説明は必要ないような気もしてきますが、穏やかで洗練されていて、さりげなく現代的なアレンジを施されたとても心地よい音楽です。

BGM的に流すことができるから、毒にも薬にもならない薄口の音楽かというと、そんなことはなく、旨味の凝縮された音楽であって、思わず唸ってしまいます。

夏の休日のお供にピッタリのCDだと思います。

昼寝にも似合いそう。

トロピカルジュースでも作って・・・

zzz・・・
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2005年07月13日

Albert Ayler / Spiritual Unity

Spiritual Unity

You never heard such sounds in your life.

「破壊せよ、とアイラーは言った」という、中上健次の有名な言葉があります。私はこの言葉を知っているだけで、この作品を読んだことがないので、本当にアイラーがそういったのか、中上健次がそのようなメッセージを勝手に受け取ったのか、定かではないのですが。

60年代に隆盛を誇ったフリージャズ。そして、そのシーンの中心人物の一人である、アルバート・アイラー。なにやら難しそうというか、しかめ面をして聴かなければいけないような気分にさせられますが、果たしてそういうものなのでしょうか?受け手が勝手に小難しく解釈して、敷居を高くしているだけのような気もします。

(アメリカの)フリージャズは、60年代の社会背景(公民権運動など)と実際強く関係のある音楽だとは思いますが、観念ばかりが増大して、観念に感覚を支配されてしまうのは、いただけません。気を楽〜にして、音楽そのものに耳を傾けると・・・

なにやら愉快な音楽・・・

3人のプレーヤーの、楽器による交感といった風情が面白い。聴いていると、なんだか心がまっさらになったような気分になって、元気がでる。

アイラーの場合、その壮絶な最期から、時代とともに去ったフリージャズの闘士というような、とにかくシリアスでハードなイメージがあります(ような気がする)。でも、例えば「Love Cry」という曲(アルバム「Love Cry」収録)。初めて聴いた時には、ズッコケてしまいました(ハレヒレハレハレ〜♪って・・・)。しかし、それが時代への挽歌のようにも聴こえてくるところがあったり(そう感じるのは、後になってその歴史を俯瞰することができるから、という理由が大きいような気もしますが)、その太い音色になぜか涙腺が緩むという感覚も・・・少なくとも暴力的な音楽であるとは、私は思いません。「Goin' Home(家路)」(先日取り上げた「遠き山に日は落ちて」)や、「聖者が街にやってくる」等の曲を吹き込んだアルバムもあります。いつか見た風景が、まぶたの裏側に仄かに映し出されるような演奏です。

最初に挙げたフレーズは、このアルバムを世に送り出した60年代を代表するフリージャズ(以外もあり)レーベル、ESP-Diskの(私の持っている)復刻版CDに印刷されているフレーズです(オリジナルのLPは見たことがないので)。好奇心を大いに刺激される、とても格好いいフレーズだと思います。

そしてもう一つ、レーベル(復活したのでしょうか?)のHPにも誇らしげに掲げられているフレーズが

The artists alone decide what you will hear on their ESP-Disk.

心を空っぽにしてこのアルバムを聴くと、暑い夏の日を爽快な気分で過ごせるかもしれません(涼しくはなりません)。
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2005年07月02日

George Gershwin / Rhapsody In Blue

The Ultimate Gershwin

直訳すると、『憂鬱な狂詩曲』。

タイトルだけでも「きっと、とても素敵な曲に違いない」と思わせるものがあります。

そう思ってワクワクしながらセットしたCDプレーヤーから流れてきたのは、予想とは少し違った音楽でした。

何処となくコミカルで、牧歌的ともいえそうな・・・

例えば曲の断片が『トム&ジェリー』で流れていても似合いそうな感じ。

言葉にするのは難しいですが、乏しい予備知識と先入観から膨らましていたイメージでは、今にも壊れてしまいそうな繊細で透明な音楽を予想していたのです。

でも、今になって考えてみると「なんと曲にピッタリの素敵なタイトルだろう!」「なんとタイトルにピッタリの素敵な曲だろう!」とため息が出てしまいます。

狂騒的でありながら優雅。優雅でありながら狂騒的。人生における悲喜劇。

一曲の中に、様々な表情を見せてくれる曲です。

時代背景などを考慮しながら曲を分析していくと、相当興味深いものになりそうですが、私は専門的な知識がないので断念。。。当時の大衆音楽とクラシックのスタイル。ジャズ、ブルース・・・

この曲は、ウディ・アレンの映画『マンハッタン』で印象的な使われ方をしています。マンハッタンの情景にこの曲が流れる部分などは、映像が主役なのか、音楽が主役なのか、それとも合わせて一つなのか・・・この映画に限らず、ウディ・アレンの描く世界と、ガーシュウィンの描く世界は相通じるものがあるように思います。

ウディ・アレンは、古き良き時代のジャズを演奏するミュージシャンでもあります。たしか、いまも毎週ニューヨークで演奏しているとか。

こんな音楽が流れているコーヒーハウスで、馴染みの面子とおしゃべりをしたり、一人で考え事をしたり・・・まるで映画『スモーク』みたいですが、そんな光景が浮かんできます。
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2005年06月23日

Henryk Gorecki / Symphony No.3 『悲歌のシンフォニー』

Henryk Gorecki: Symphony No. 3

嘆きと祈り。

イギリスのラジオ局が繰り返し流したことを切っ掛けに、90年代に大ヒットしたそうです。丁度、グレゴリオ聖歌がヒットしていた時期と同じくらいでしょうか?

重厚なオーケストラと歌(ソプラノ)が、ゆっくりとよせてはかえす、という感じの作品で、外界から隔絶された時と空間を作り出すような音楽です。

ポーランド語で歌われているのですが、このCDには英語訳がついていました。音楽を聴く際には余り歌詞は気にしないのですが、こういう作品はどういったことが歌われているのか気になります。英語は苦手なのですが、ポーランド語は全くわからないので・・・このアルバムは日本盤も出ていたようなのですが、現在は入手が難しそうです。


第一楽章

母親が、傷を負って死にかけている息子を抱いて

My son,my chosen and beloved
Share your wounds with your mother...


第二楽章

ナチスの秘密警察の独房の壁に残された、少女の手記

No,Mother,do not weep...


第三楽章

息子を失った母親の嘆きの歌

Where has he gone
My dearest son?


これだけだと、ただただ悲しい暗い曲のように思えるかもしれませんが、日が差し込んでくるような優しさ、穏やかさも感じます。

PJハーヴェイがBBCラジオでこの曲を聴いて、心動かされて思わずラジオ局に電話をかけて曲名を確かめた、というエピソードを何かで読んだ記憶があります。
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2005年06月06日

The Blue Nile / Peace At Last

Peace at Last

クールな肌触りが特徴的な彼らのアルバム(4枚しかないのですが)の中では、声と暖かみのあるアコースティックな響きが前面に出ているという点で珍しいアルバムです。

タイトルからも窺えるように、日々の生活の中で、ふと立ち止まり、思う・・・という感じの短編小説のような曲が並んでいます。

特別過酷な人生を送っている人でなくとも、何の不安もなかった子供時代(それ自体、子供ではなくなった人間の幻想なのかもしれませんが)を思い返し、当時のような心の平安(それは実は、当時接した映画や小説の中にしかなかったものなのかもしれないけれども)を求めるということがあるのではないでしょうか。

子供時代云々というのは、一つの例えであって、特にそういう内容のことが歌われているということではないのですが。ラブソングではあっても、巷に溢れる刹那的なものとは一線を画するものだと思います。

歌詞にはキリスト教的な世界観が反映されていますが、そのようなバックグラウンドを持たない私にとっても、それが障害になって理解できない・・・ということはありません。なにか具体的な願望の成就を求めるということではなく、大きな存在の慈愛を求めるような、淡い祈りのような気持ち。

私はこれらの歌の主人公に比べると、随分年齢も人生経験も浅いであろうと思われますが、年齢を重ねるにつれて感じ方の変わるアルバムであると思います。長い付き合いになりそうです。
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2005年05月26日

New Order / Technique

テクニーク

メランコリックなディスコミュージック。

音楽やファッションは、大体20年サイクルで再評価される(10年前が一番恥ずかしい)といわれますが、このバンドの音楽が古く感じられたときって、あったのでしょうか?

今の耳で80年代の音楽、特に当時の最新機材を使ったものを聴くと「う〜む・・・」となってしまうことが多々あります。というか最近ではまさに一周して、それが新鮮で面白く感じられたりもするのですが。シンセサイザーらしいシンセサイザーの音とか、オーケストラヒット(ジャンッ!とオーケストラのサンプルがアクセント的に一瞬挿入されるやつ)とか。チープでゴージャスであからさまな感じが、改めて新鮮に思えます。80年代の私は、まるで音楽に興味のない(縁のない)子供時代を送っていたので、懐かしい、というのとは違うと思うのですが。ただ、いかにも80年代的なキラキラした音が、90年代には時代遅れのように感じられたのは確かだと思います。

New Orderの音楽も、時代のテクノロジーを取り入れたものなのですが、その音楽が一向に古臭さを感じさせない(個人的な感覚ですが)のはどういうことなのでしょう?

一ついえることは、彼らが先駆者であったから、ということがあるのではないでしょうか(勿論、彼らに影響を与えた先人もいろいろ居るわけですが)。先駆者ということは、既に確立されたスタイル(ルール)があるわけもなく、そこからでてくる表現はオリジナルでしかあり得ないわけです。

なにごとに関してもですが、便乗組(言葉は悪いですが)があっという間に色褪せてしまうのに比べ、先駆者の作品はどれだけ時代が変わろうが、確たる強度を持っているものだと思います。

オリジナルであるが故に、最初はどんどん時代を切り開いていっているように見えるし、逆にあるときからはマンネリズムに陥ったように見える。最近の評論家の評価は後者に偏っているように感じるのですが、それは違うんじゃないか、と私は考えます。彼らの音楽に対する姿勢、態度は何も変わっていないのでは?と。新鮮に感じられないというのは、それだけ彼らが作った音楽が浸透したということであり、別に変わりつづけることが目的でもあるまいし、当然のことかと。先日発表された新譜も、クオリティの高さはずば抜けているし、現代性も確実に反映されています。

とにかく大好きなバンドなので、いろいろ書いていたのですが、なんだか余りにも纏まりがなくなってきてしまったので、それはカット!して、ひとつだけ。ギタリストとしてのバーナード・サムナーは、もっと評価されてしかるべき!ルー・リード直系の素晴らしいギタリストです。とにかくこのバンドは、唯一無二の存在(音楽性、メンバーそれぞれの個性、バンドのあり方・・・)であると思います。歌詞の内容やアートワーク(ピーター・サヴィル)も含めて。それは、前身バンドのJoy Divisionの頃もそうです。Joy DivisionとNew Order(新秩序?)はまるで違うバンドのようでもあり、何も変わっていないようでもあり、その両方とも真である。そのようなアンビヴァレントな感覚(様々な面で)こそが、このバンドの本質なのではないか、と思います。それはもちろん、今現在のNew Orderにも繋がっています。

今回紹介しているのは、89年のアルバム。New Orderが、ダンスミュージックに最も接近したアルバムではないかと思います。それは、刹那主義、快楽主義に耽溺した音楽(時代の傾向を考えれば、そうなっていてもおかしくない。しかし、そういう音楽は消費されてしまう)というわけではなく、メランコリア、シニシズム(ときに、思わず笑ってしまうくらいシニカルなところがある)、ロマンティシズム・・・そして、ダンスミュージックとしての機能性(といっても、私は踊る人ではないので、部屋や散歩で聴くばかり)、高揚感。それぞれが相反することなく共存している稀有な音楽だと思います。でも、これは音楽に限ったことではありませんが、お互い相容れないと思えるような要素が内に混在している状態こそ、真実なのではないか、という気もします。
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2005年05月20日

星は空をちりばめぬ

先日、ラジオをつけてボンヤリしていると、ドヴォルザークの「新世界より」の第二楽章が流れてきました。

日本でも「遠き山に日は落ちて」(「家路」)として歌われているメロディです。子供の頃、キャンプファイアーを囲んで歌った経験を持つ方も多いのではないでしょうか。下校の時間にも流れていた記憶があります。

遠き山に日は落ちて♪の後は、どんな歌詞だったかしら・・・と調べてみたのですが、その後に続くのは「星は空をちりばめぬ」でありました。

「星は空をちりばめぬ」とは、なんと綺麗な表現!

1946年 堀内敬三作詞だそうです。今日、このような言葉遣いは姿を消しつつあるように感じるのですが、良いものだなぁ・・・と思いました。
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2005年05月15日

The Blue Nile / Hats

Hats

夜がよく似合う。と書いたところで考えたのですが、夜とは?何故、夜に似合うと思うのか?

夜・・・一日のお終い・・・静けさ・・・微熱のような疲れとやすらぎ・・・夜、それぞれの夜・・・わからなくなってきました。暴走族の夜・・・には、もちろん似合いません・・・

私は単純な人間なので、このジャケットからの連想で思い込んでいるだけのような気がしてきました・・・

しかし、このアルバム7曲中「The Downtown Lights」「Let's Go Out Tonight」「Headlights on the Parade」「From a Late Night Train」「Saturday Night」5曲!も夜を連想させるタイトルがあります。

やはり、彼らの音楽には夜のベールがよく似合う。

ミュージシャンズ・ミュージシャン的な存在であり、音楽評論家からも大変評価が高い存在なのですが、最初に聴いた時はどうしてそこまで評価が高いのか分かりませんでした。悪いと思ったわけではないのですが。しかし数年寝かした後、最近になってふと聴き返してみると、自然な感じで沁みこんできました。

派手な(過剰な)ところのない音楽なので、意識していないとサラっと流れていってしまいますが、よく聴くとかなり注意深く作りこまれた音楽であることがわかります。楽曲の構成にしても、楽器の使い方にしても。シンセによる冷んやりとしたオーケストレーション、打ち込みのリズム、ギター、ピアノ・・・どのような楽器がどれくらい使われたのか正確にはわかりませんが、全てが控えめで、余白が充分に残されている。余白に満ちている、といってもいいかもしれません。そして何より魅力的なのは、ポール・ブキャナンの歌。抑制されながらも、ソウルフル。上品で穏やかな、やさしさを孕んだ歌声。単純な私には、静かな郊外に住む英国紳士が浮かんできます。

この他のアルバム(20数年で4枚!)も同じく素晴らしいものばかりです。
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2005年05月02日

Joao Gilberto / Joao Voz E Violao

ジョアン 声とギター

コップ一杯の蒸留水。

そこに、一滴の○○(お酒、香水・・・)を。

或いは、官能的な静寂。

いつも、同じような言葉しかでてこない自分の語彙の少なさを嘆かわしく思っているのですが、このアルバムについては、いくら言葉を尽くしても、言葉を尽くせば尽くすほど、その音楽から離れていってしまうような気がします。

ジョアン・ジルベルトの囁くような歌声とギター。

夜、一人で聴きたい音楽です。
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2005年04月27日

Marc Ribot / Saints

Saints

アルバート・アイラーからThe Beatlesまで。ソロギターによるアルバム。

聴きようによっては、ギターによる戯れ、暇な時に部屋でギターを気ままに爪弾いている風景をパッケージにしただけ、というように思えるかもしれません。

或いは、それもあながち間違いとはいえないかもしれませんが、正確な再現とか構築を目的としないというのは、考え方によっては非常に厳しい条件でもあります。

ギター一本で、どのラインを選ぶか。或いは本来は鳴っていないはずの第三の旋律を拾い上げるか。構成は?原曲をモチーフにいかにしてオリジナルの表現に昇華させるか。というよりも、ギター一本しかないのだから、どう演奏してもオリジナルにしか成りようがないのだけれど。では、どのような基準を置くか。原曲に近いほどOKというような、わかりやすい基準はない。曖昧なところから、自らの意識、意思によってイメージを具現化する。

ひょっとすると、そこまで深く考えていないのかもしれないし、滅茶苦茶練りに練った結果なのかもしれません。そこを読みぬくほどの能力は私にはありませんが、ぎこちなく聴こえるなかで、叙情的でブルージーな響きにハッとさせられる場面もあり、決して親切な音楽ではないけれど、聴くたびに味わいが増していくような作品です。

これもまた、一つのBluesなのだと思います。
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2005年04月20日

Brandon Ross / Costume

コスチューム

枯山水の庭園を思わせる・・・

枯れたギターの音が瑞々しく響き、空気に消える。

饒舌な音楽ではなく、意識によって抑制された音楽であると思います。思索の軌跡とでもいうか・・・その過程とでもいうか・・・確かな技術に裏打ちされた余裕も感じさせつつ・・・

うまい言葉が浮かびませんが、心地よく聴けるし、じっくり聴きこみたくもなるアルバムです。
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2005年04月19日

Arto Lindsay / Salt

ソルトプラス(2)

甘美でありながら刺激的でもある。先鋭性と伝統的要素が同居し、洗練された優美な全体像を構築する。アート・リンゼイの作品の中でも、これほどラテン的な要素が表面に出たものは珍しいのではないでしょうか。艶があります。

アレンジは現代的であるけれども、時代が流れて色あせるような種類のものではありません。現代にいて音楽を作っているのだから、現代性を反映させるのは極自然なことです。しかし、安易になんでも取り入れると、あっという間に陳腐なものになってしまうという危険性もあります。それを見抜く審美眼というか、バランス感覚というか。そして、前衛的な要素とポップ・ミュージック的な要素のバランス。その絶妙さには唸るしかありません。別に計算して音楽を作っているわけではなく、自分の感覚に心地良い音楽を作っているだけだと思うのですが。

相棒のメルヴィン・ギブスも相変らず素晴らしい仕事をしています。

惚れ惚れするようなアルバムです。
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2005年04月15日

Bill Evans & Jim Hall / Undercurrent

アンダーカレント

腹八分目とでもいうか、何かが足りないというわけではないのだけれど、聴いている最中、レコードが終わったとき、何となく感じる空腹感。でも、それはとても心地よいもので・・・

少し割れたような音質のせいでしょうか?それとも収録時間のせい?それとも、その叙情的な世界観があまりにジャストすぎるから?

ビル・エヴァンスのピアノ、ジム・ホールのギター。二つの楽器による対話。破綻することなく流れる詩情。

録音物だからというわけではなく、Atmosphereがそのまま封じ込められており、再生するたびにそれは解き放たれ、夢のように消える。
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2005年04月05日

Friction / Skin Deep

音と音の間に隙間が多く、そこになにやら不穏な空気が充満している。前作「軋轢」をはじめ、ライブ盤も含め全てが名盤であり、それぞれが繋がり(連続性)を感じさせつつ、それぞれの作品に独自の魅力があるのですが、当時リアルタイムでFrictionを追いかけていたファンは、この作品がでたときどのような感想を持ったのでしょうか。

当時の音楽的状況を考えると(または、ライブに熱心に通っていたようなファンには)、意外と違和感なく受け入れられたのかもしれませんが、前作「軋轢」や、その当時のライブ録音と比べると、随分と音楽性が変化しているように感じます。

殆ど(全て)の曲がミドルテンポ。不穏で金属的なSEが挿入され、ギターはファンキーなカッティングを聴かせる場面もあるものの、殆どがノイズ的というか、これもまたSE的な役割が殆ど。空気を震わせるベースの存在感が強烈。ベースとパーカッションが音楽の根幹を成しており、それらの上を、シェイプアップされ研ぎ澄まされた言葉(ヴォーカル)が泳ぐ。

それにしても、音楽全体に強度と深みを与えているベース。ビートを作り出しながらも、不規則(というわけでもないのでしょうが)に動き回るそのベースラインの裏には、強烈な意識、意思を感じます。

ジャケットも格好いいです。Amazonに写真がないので、載せることが出来ないのが残念。

もし可能ならば、この作品のリミックス(陰影を際立たせるような、リマスタリング的な意味での)を聴いてみたいものです。このもやがかかったような空気感あってこそなのかもしれませんが。
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2005年04月01日

Jah Wobble & The Invaders Of The Heart / Molam Dub

Molam Dub

ジャー・ウォブルという人は、Public Image Limited脱退後は結構波乱万丈の人生を送ったようですが、現在はミュージシャンとして理想的な道を歩んでいるといってよいのではないでしょうか。

世界中の様々な意識的なミュージシャンと交流し、枠にとらわれず、興味や好み、考え方の変化などを自然に反映させながら音楽を創造している(と、私には感じられる)姿勢には、こちらも興味をかきたてられます。

このアルバムでは、パリをベースとして活動しているラオスのアンサンブルMolam Laoと競演しています。東南アジアの伝統的な音楽とディープでへヴィなレゲエ/ダブのサウンドとの融合。近未来的な情景が浮かぶような、とても格好いい音楽です。

海外の音楽となると、やはり欧米(中南米)の音楽が中心になります。私はエッジのある音楽というか、精神的な意味でのロック(でもジャズでも言葉は何でもいいですが)を感じさせる音楽に惹かれるのですが(ジャンル的な意味でのロックが好きかというと、必ずしもそうではないという意味で。勿論、好きなものも沢山あります)、欧米以外の地域にも当然様々な音楽が存在しており、そのような(エッジのある)音楽も沢山あるのだろうということに、このような音楽を聴くと改めて気がつかされます。

ヒットチャートは世界中何処だって似たり寄ったりだと思いますが、それぞれの地域の伝統を継承した現代の音楽(時間と地域の二つの軸が交差しているような)というのもあるでしょうし、面白そうです。
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2005年03月31日

Antonio Carlos Jobim / Composer

コンポーザー/ベスト・オブ・アントニオ・カルロス・ジョビン

ジョビンの歌は下手だ、下手だと云われますが、私には何処が下手なのかよくわかりません。私も音痴だからでしょうか?暖かみがあって、味わい深い歌だと思うのですが・・・確かにアルバム「Terra Brasilis」などは酔っ払いの鼻歌のように感じる曲も数曲あったりしますが・・・それもまた良し。

このアルバムは、ジョビンが60年代にワーナーに吹き込んだ曲がギッシリ28曲も収録されています。ジョビンの最初の一枚としては最適ではないかと思います。有名な「Wave」も勿論素晴らしいのですが、あちらは一曲を除いて(その一曲がまた素晴らしい)全てインストなので。

インストはインストでコンパクトにまとまっていて、洗練された響きが実に素晴らしいのですが。ドビュッシーやラヴェル、ガーシュウィンやサンバなんかのエッセンスを纏めて磨き上げた音楽、というような印象があります。理論的なことは、全く分からないのですが。

このCDは収録時間も長いし、休日の昼下がりに流していると、いい気分になれるかもしれません。
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